女性アイドルアイドルの恋愛禁止について考えて歩き続けてたら、エベレスト登山成功してた話
歩き出した理由は、今となっては些細なことだ。
深夜のテレビ番組で流れた、某アイドルグループのリーダーによる謝罪会見。
涙を浮かべながら、「ファンを裏切った」と繰り返す二十歳そこそこの少○の姿に、猛烈な違和感を覚えた。
恋愛禁止。その四文字が頭の中で奇妙な歪みを持って肥大化していく。
それは契約なのか、倫理なのか、それとも現代の宗教なのか。
気づけば靴を履き、夜風の街へ飛び出していた。
思考を整理するには、体を動かすのが一番手っ取り早い。
最初の10キロメートルは、アイドルの恋愛を消費するファンの心理について考察していた。
疑似恋愛の対価として金を払っているのだから、裏切りを許さないのは市場原理として正しい。
いや、しかし人権はどうなる。
他者のプライベートを制限する権利が、たかだかCDの複数枚購入やライブのチケット代ごときに含まれているわけがない。
足は自然と北を目指していた。
東京の喧騒が薄れ、埼玉の平野を抜け、景色が次第に険しさを帯びていく。
だが、脳内の法廷は一向に閉廷の兆しを見せない。
「恋愛禁止はアイドルの輝きを守るための防壁である」という検察側の意見と、「個人の幸福を搾取する奴隷制度だ」という弁護団の主張が、激しく火花を散らしている。
群馬の山々を越える頃には、思考はより抽象的な領域へと突入。
そもそも「処女性」や「清貧」を他者に求めるシステムは、古代の生贄の儀式と何が違うのか。
ファンは神であり、運営は神官であり、アイドルは祭壇に捧げられる供物だ。
そう考えると、あの涙の会見は儀式の失敗を詫びる祝詞のようなものだったのではないか。
思考の熱量に比例して、歩行の速度は上がっていく...
道はいつしかアスファルトから土へ、そして岩肌へと変わっていた。
周囲の言語が日本語から英語へ、さらに聞いたこともない異国の言葉へと変化していく。だが、そんなことはどうでもいい。
恋愛禁止という矛盾に満ちた概念の正体を見極めること、それだけが我が歩みのガソリンだった。
「疑似恋愛という虚構を維持するために、現実の人間性を犠牲にする。これは芸術の極致か、あるいは悪魔の所業か」
脳内でそう呟いた瞬間、急激な息苦しさに襲われた。
空気が、圧倒的に薄い。
視界を遮るのは、青を通り越して宇宙の闇を予感させる漆黒の空と、眼下に広がる白い雲の海。
そして、足元にあるのは凍てついたナイフリッジ。

「おい、正気か! そこから先はデスゾーンだ!」
誰かが英語で叫んだ気がしたが、幻聴かもしれない。
今の私は、恋愛禁止という戒律がもたらす「偶像崇拝の呪い」について、その最終結論にたどり着きかけているのだ。
ここで立ち止まるわけにはいかない。
愛を禁じられた少○たちの孤独は、この絶対零度の世界に等しい。
彼女たちの背負う寒気と、このヒマラヤの冷気、どちらがより残酷か。
風が、すべてを拒絶するように吠える。
一歩進むたびに、肺が燃えるように熱い。
しかし、足は止まらない。そして、不意に足元が高みを失った。
周囲を見渡す。これ以上、上へ続く道はない。目の前には、世界のすべての頂点がある。
祈るように立てられた極彩色のタルチョが、激しい風に千切れんばかりに揺れていた。
標高八八四八メートル。
エベレストの頂。
私はピッケルも持たず、ただの街歩きの格好のまま、世界最高峰の頂に立っていた。
凍てつく酸素を肺に流し込みながら、私はようやく、何百キロメートルも、いや何千キロメートルも追い続けてきた問いの答えを掴みかけていた。
恋愛禁止とは、ファンが己の「不完全な現実」を忘れるために、アイドルに「完璧な虚構」を強制するシステムだ。
そしてアイドルとは、その歪んだ祈りを受け止めるために、地上で最も高い孤独の山を登り続ける登山家たちなのだ。
彼女たちの孤独の深さに比べれば、この世界の頂など、ただのなだらかな丘に過ぎない。
「……なるほどな」

私は一言だけ呟き、ポケットからスマートフォンを取り出した。
画面の端、かろうじて一本だけ立っている電波のマークを確認する。
あのアイドルの所属事務所のホームページを開き、「お問い合わせ」のフォームに、エベレスト山頂からの位置情報を添えて、こう打ち込んだ。
『恋愛くらい、自由にさせてやれよ。ここよりは寒くないはずだ』ってね。

送信ボタンを押し、私は深く息を吐いた。
さて、山を下りたら、今度は「推し活の経済学」について考えながら歩いて帰るとしよう。
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